※本投稿は、以前のブログである『ぶっくぶっくに溺れて』から再掲しているものです。
<オリジナル投稿 2019-02-21 21:26:57 >
『創業100年 甲府「25坪の書店」が生き残れるワケ』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190217-00000006-mai-bus_all
圧倒的な個性を発揮して読書ファンの心をがっちりと掴んでいる小型書店というのが、全国にいくつかある。街の書店はなくなっていく時代だけれど、確固たる地位を確立している書店というのもまた、存在している。
こちらの書店は、棚を編成するにあたって、従来的な「ジャンル」や「出版社」ではなく、「感じる」「考える」といった、人間の感覚や思考を切り口にしている様子。これが間違いなく同書店の強い個性となっているであろうことは想像に難くない。
書店はある意味でとても特殊な業種・業態・商習慣を持った、流通業の中でもかなり特異な存在だと思っているのだが、それでも、その他の流通業と共通している要素もたくさんある。その中で、今回の記事を見て考えたのは、インフラ→コンテンツ→プレゼンという、時代の変化についてだ。
確固たる仕組みがなかった頃、流通業の登場は、登場自体が画期的なことだったはずだ。今まで買えなかったものが、買えるようになる。この時代は、流通業というかたちが存在することそのものに重要な意味があった。すなわち、インフラの時代である。そもそも何かを買えるかどうか、が評価の分かれ目というわけだ。
この時代は、インフラを持っているところがすなわち強かった。持てる者が持たざる者よりも強かった時代だ。
やがて流通業が浸透しある程度数が出揃ってくると、今度は競争が起きてくる。そこで重要な価値観を構成していったのは、どんなものが買えるのか、という要素だ。すなわち、コンテンツの時代である。何かを買えるということは当たり前。いったいどんなものが買えるのか。それが評価の分かれ目になっていった。この時代になると、大型の店舗を持っているところに優位性が出てくる。多数の品揃えをしているところは、たくさんの商品を提示することができるわけだから。
そして、大型店舗が生き残り、小さな店舗は競争に負けて消えていく。まさに現代。
それでは、この現代において、大型店舗以外は生き残り得ないのか? 否である。この現代においても、個性を発揮し、”多数の”品揃え以外の部分で勝負し、生き残っている店舗もある。そのことのひとつのキーワードが、「どのような価値を買えるか?」という切り口だと思う。その店舗は、自分の人生に、どのような幸せをもたらしてくれるのか? ただ物質としてのモノを売るのではなく、価値観であったり、幸せな生活であったり、を、売る店舗が、現代においては、強い光を放っている。そう、プレゼンの時代である。
まとめるとこうだ。
「水」を例に書いてみる。
○インフラの時代(そもそも何かを買えるかどうか)
→水道管を持っているところが強い。
○コンテンツの時代(どんなものを買えるか)
→おいしい水、安全な水、etc…を持っているところが強い。
○プレゼンの時代(どのような価値を買えるか)
→どのような意味で”良い”水を紹介してくれるか、良い水を使って何が出来ると教えてくれるか、良い水によって生活に何がもたらされると教えてくれるか、自分の知らないだけど良い水と出会わせてくれるか、といった、出会い、発見、気づき、を提供してくれるところが強い。
ということだ。
これを書店の世界で言うと、
○インフラの時代
→書店それ自体が、本を売っているところが強い。
○コンテンツの時代
→品揃えの多い書店、特定のジャンルに強い書店、個性的な選書の書店が強い。
○プレゼンの時代
→本をうまく紹介できるところ、新たな切り口で本との出会いを提供できるところ、予期せぬ良書との出会いを演出できるところ、が強い。
ということになる。
こう考えてみると、特殊な業界とは言え、やはり書店は流通業なのだということを痛感する。そして、他の流通事業者や店舗から学ぶべき事もきっと多いのだろうことにもまた、気付く。
プレゼンの時代の次の時代もまた、確実にやってくる。ただ、私などではまだ、それがどのような時代になるのかはわからない。
ただひとつ思うのは、何事も、時代のせいにしてはならない、ということだ。必ず、方法はある。
全国の個性的な書店巡りを、してみたい。