※本投稿は、以前のブログである『ぶっくぶっくに溺れて』から再掲しているものです。
<オリジナル投稿 2019-04-06 13:11:07 >
『「パブー」が9月30日に閉店 ~ だれでも電子書籍を作成・販売できるサービスの老舗がサービス終了へ』
『パブー』が9月末をもって閉店するとのこと。
電子書籍の世界で一定の役割を担ってきた同サービス。常に生まれるサービスがあれば消えていくサービスもあるのが世の常ではあるが、やはり若干寂しいものです。
電子書籍は間違いなく普及の一途を辿っていて、ひと昔前に比べたら隔世の感があるぐらい、当たり前の存在になっている。Kindle、koboといった専用機と、インターネット・タブレット端末、スマートフォンといった再生装置たる端末が広く普及し、かつ、電書販売のトップリーダーたるamazonの知名度が大きくなり、日本においてもカード決済等の電子決済に対する抵抗感が薄れて、という一連の流れが、今のこの状況に至る流れを後押ししてきたことと思う。
電子書籍の普及がもたらしたものは、単に読者の読書体験の多様化のみにとどまらない。
書籍を書く側、すなわち著者を多様化させることにも、とても大きく貢献した。
一般に、紙の書籍を出版することは簡単ではない。ましてや出版を生業としない一個人が書籍を出版するとなると、たくさんのお金を持ち出すことになり、かつ、世の読者候補のもとに届けることは極めて難しい。
しかしながら、電子書籍の登場により、著者は極めて少ないコストで書籍を出版することが可能になった。しかも、理論上、世界中に向けてそれを販売することも難しくない。仮にコストの種類を「金銭」に限定するとすれば、インターネットの通信費や電気代を除けば、資金0円で本を出版することも不可能ではない。
電子書籍の登場はすなわち、たくさんの著者・作家を生み出すことにも繋がったのだ。
ただ、個人的には、電子書籍の本格的な地位確立は、未だ成されていないと考えている。
それは、利便性以外の部分、すなわち、中身の文章作品を表現する要素に於いて、紙の書籍に比べて随分表現力に差があるからだ。
紙の書籍は、その中心たる文章というものを核とした、総合製造品だ。
文章が表現するもの・世界を補完し、読者の読書体験をより豊かなものとするべく、装丁(ブックデザイン)がなされ、印刷・製本される。
この「装丁」の部分において、現在の普及型の電子書籍フォーマットでは、その表現の幅はほとんど無いと言っていい。
フォントの種類やサイズ、レイアウト、字送りや行送り。epubのような汎用性の高い電子書籍フォーマットになればなるほど、それらは端末側から自由に指定されることになる。
これは特徴の話をしているのであって、電子書籍の大きな強みを否定する意図はない。実際、私が初めて購入した電子書籍端末は、年齢とともに小さな文字が読みづらくなった読書好きの祖父に贈るためのものだった。そして、フォントサイズを大きくした電子書籍により、祖父の読書ライフのクオリティはある程度維持されることになった。もし電子書籍がなかったら、晩年の祖父はほとんど読書をすることができず、人生の大きな潤いを失うことになっていただろう。
イメージの表現になってしまうが、「現在の紙の書籍の強みをある程度内包した電子書籍」、その登場が待たれている気がしてならないのだ。
何でもそうだが、「いいとこどり」というのは至極難しい。それを追求したら返って中途半端なものができてしまい、結局特化型の商品やサービスが支持されるという例は枚挙に暇がない。しかしそれでも、先に書いたようなものが登場したその時、本当の意味で電子書籍、いや、「書籍の第3の類型」の地位が確立されていくように思う。
最後は結局電子書籍という概念すら超えてしまったが、同じようなことを考えている方はそこかしこにいらっしゃるのではなかろうか。
そして、こんなことを考えているうちに、「新しい概念の紙」だとか、「あたらしい読書スタイルの概念」なんかも出てくるのだろう。
新しいものが登場することはとても喜ばしいことだ。それにより、現在までの紙の書籍や電子書籍の良い部分を徒に否定することにならなければ。