※本投稿は、以前のブログである『ぶっくぶっくに溺れて』から再掲しているものです。
<オリジナル投稿 2018-12-31 02:38:56 >
母と母方の祖父の近くには、いつも本があった。
物心ついた頃には、家のどこかしこにに本が置いてある、外出する度に書店に立ち寄る、そんなことが当たり前だった。ふたりとも、特に高尚な本を好んでいたという記憶はない。その時その時興味を抱いた本を、読みたいように読んでいたのだと思う。
そんなゆるい空気の中でもそもそと育った私の手の届く範囲には、常に本がある。家のどこかしこに本が置いてあり、外出する度に書店に立ち寄る。特に高尚な本を好むということはない。その時興味を抱いた本を、読みたいように、読んでいる。
結局、本が好きなのである。
残念ながら、大した読解力もない。深読みが苦手で、ただストレートに、記述されている文章を受け止める傾向にある。
読書速度も極めて遅い。速読に憧れて数十年。未だ遅読しかできない。なのに本を買う。だから積ん読の山ができる。そして本を買うのを我慢するのだが、結局買いたい本リストがいっぱいになり、そして買いたい本リストへの登録も自粛するようになるのだが、読みたい本が増えていくという事実が変わるはずもなく、もう世の中読みたい本だらけである。
と、これだけを書いたら、何だかやたら高尚な人間な気がしてくるのだが、実際は本と同じぐらい好きなことがほかにもいくつかあるわけで、ただ足りないのはすなわち時間、というわけである。
そんな私なんだけどね。
胸を張って言える。
結局、本が好きなのです。
そして、本について思うひとりごとを、垂れ流したいと思うようになったのです。
読み苦しいはずだが、お赦しいただく他ないと、ひとり結論づけるのである。